利休を切腹させた秀吉のわがままな心

Posted on : 2013年2月25日 | post in : 60 : 書籍 |Leave a reply |

2013-02-25 11:45:40

利休の逸話 筒井紘一 淡交社

師と仰ぎ、親友でもあったはずの利休に切腹を命じた秀吉
戦乱の時代に一番したから下克上した秀吉だからこそ
自分に舞い上がり、下克上の恐怖感に苛まれながら
生きなければならなかった。
所詮は、百姓のせがれ・・・
さる・・・・

筒井紘一の「利休の逸話」でも
利休切腹に着目してみた。

家臣を連れて鷹狩に出かけた秀吉が
見かけ、見初めた美女が万代屋の未亡人
何度も、恋文を出したが、
「亡き夫を今も愛しており、幼子もいる」
と拒絶されたストーカー秀吉
秀吉のストーカーは更に進み、
未亡人の父にも命令した秀吉
その父こそ利休であった

利休は、娘の貞淑に生きるという決心を破らせることはできず
娘を側室にして出世しようという了見もなく、断ったという。

これが動機になり
利休が再興した大徳寺の山門に自分の像を掲げたことを
「自分がくぐりもする山門の上に、
こともあろうに雪駄をはいた像をおき、
まるでおのれの足の下を通れと言わんばかりの不届き者よ」
と言う秀吉

配下の者の利休に対する妬みからの根も葉もない讒言により
切腹を命じた秀吉

「国家安康」の鐘にいちゃもんを付けられ
滅ぼされた豊臣家は、この意趣返しをされたとも言えるが
酒、女、博打・・・
身を滅ぼすものと言われるが
秀吉はかなり、だらしがなかったようですね。

今なら、冤罪死刑というところか





タグ: ,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Theme Designed Bymarksitbd