会津若松が県庁所在地になれなかったのは何故?

Posted on : 2013年5月28日 | post in : 70 : 日本 |Leave a reply |

2013-05-28 10:09:32

全国に藩が置かれたのは、1871年の廃藩置県の時
この時は、旧藩が3府302県に置き換えられただけなので
県の県庁所在地のほとんどは、旧藩の城下町が引き継がれた その後、県が多すぎるというので、
1890年までに、現在とほぼ同じ1道3府43県に絞られた

長野県は、松本、松代、上田、諏訪、飯田などの
小藩が乱立していて、大もめにもめた結果
善光寺の門前町だった長野市が選ばれた

神奈川県も、横浜は城下町ではなかっったが
諸外国との交易のための開港地だったので
県庁所在地になった

最近大河ドラマの影響などもあって注目されている福島県は
本来なら、最大の藩であった会津の城下町である
会津若松が県庁所在地になるところだが
戊辰戦争で新政府に徹底抗戦した朝敵であったため
23万石の会津藩ではなく、3万石の城下町だった福島に決められた

朝敵あるいは、佐幕派という理由で県庁所在地になれなかったのは
山型の米沢市、岐阜の大垣市、滋賀の彦根市がある

県庁所在地は、その件の政治はもとより、
文化・経済の中心であるという認識があったが
歴史的背景も色濃く残っているようだ

今でも、福島(会津)の人は、
山口(長州)を快く思わないとくことがあるが、
確かに、過去がすべて清算されてはいないのだから
部外者がとやかく言うことではないのかもしれない





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